「Googleが存在しない世界では、“アーキテクチャの生態系”は生まれなかった。そして、アーキテクチャよりも文化の方が圧倒的に強い場所だった。これが表のウェブに対する、女の子ウェブの最も大きな違いじゃろうな」 (via 女の子ウェブの歴史〜もしグーグルがインターネットになかったら #bunfree - ねとぽよ)
雇用問題誌「POSSE(ポッセ)」14号が、ある大手衣料量販店X社の元女性社員3人をまじえた
座談会を掲載している。3人とも有名大学を卒業後に入社したが、入社1年前後で体調不良となって
病院に行き、休職を経てすでに退職している。
彼女たちは「実力主義」や「サービス面での評価の高さ」にひかれて入社したが、
「半年で店長になる」ための厳しい研修や業務に耐えかねて、退職を決意した。
同期入社は2年間で半数が退職したという。
■「半年で店長」のプレッシャーに脱落者続々
Aさんは名古屋出身で、関西の大学を卒業。3人の中では最初に退職した。入社7か月を前に、
仕事中にぼーっとすることが増えた。朝はなかなか起きられないし、店長に言われたことを
忘れたりした。「これはやばいな」と感じ、すでに辞めた友だちに相談したところ、病院での受診を
勧められたという。
医師からは「3か月くらい会社を休んだほうがいい」と言われ、店長に相談したが
「そんなの無理」という返事が。診断書を示したところ、一転して「明日から休んで」と言われた
という。その後は一度も店に行かず、半年後に退職している。
Aさんが休職したころ、Bさんにも異変が起きていた。味覚が変わり体重も減って、家に帰っても
眠れない。気分が落ち込み「いま車に轢かれたらいいのに」と思うようになり、Aさんに相談。
病院で「1回実家とか帰ってゆっくりしたら」と言われて診断書をもらい、2か月休職して退職した
という。
留学経験もあるCさんはX社に1年以上勤めたが、異動した店で感情の起伏が激しく部下を
「道具のように使う」店長に当たり、眠れなくなった。彼女もAさんに相談して病院に行き、
休職後に退職したが、そのころには周囲に病院に行った人がすでに何人もいたので、抵抗感は
なかったそうだ。
入社2年で半数が辞めるのは、「半年で店長になれ」「店長にならないとスタートラインに立てない」
というプレッシャーからのようだ。
マニュアルを覚えたかどうかのテストが毎週あり、休日はその勉強に割かれる。マニュアルは
社外秘で持ち出せないため、復習用に遅くまで会社に残って書き写していた。
人件費に応じた売り上げが上げられず、残業を禁止されたりサービス残業を余儀なくされたりした
店舗も中にはあるようだ。
短期間で育成された店長の中には「粗悪な店長」もいる。ついていけなければ「どうぞ去って
ください」という雰囲気だったという。
■自社のシャツ着用は「衝撃的」か「当たり前」か
座談会ではこのほか、入社式前に「企業理念」と「基本方針」を暗唱させられたり、
エリアのリーダーがセクハラで懲戒免職されたなど、会社や店舗の細かな事柄まで記されている。
かなり厳しい職場環境のようだが、入社1年程度で辞めた女性たちの話を冷ややかに読んだ人もいる。
都内に勤務する27歳の男性会社員Dさんに、J-CAST編集部が感想を尋ねたところ、
「この子たちは入る会社を間違えただけでは」という声が返ってきた。
「業績が相当いい大企業と分かって入ったんでしょう? 社内競争だって激しいのは当然ですよ。
サービス残業やハラスメントは別ですけど、正直、競争に乗り切れなかった人たちのグチと感じる
部分もありましたね」
例えばBさんは、マナーやおじぎ、あいさつを厳しく指導する社内研修に対して、
「『何で、発言者に椅子を向けて聞かないんだ』とか『退席するときに机のまわりを片付けなさい』
とか、宗教みたい」と憤っている。
しかしDさんの見方はこうだ。
「『人と接するのが好き』で『サービス面での評価の高さ』にひかれて入社したと言ってるけど、
矛盾しますよね。そういうシビアな社風が、サービスの質の高さを支えてる。それを当たり前と
思える人じゃないと将来の幹部候補なんて務まらないでしょ、バイトじゃないんだから」
また、一般客も宿泊する施設で研修を行った際、お風呂に入ったあと自社製品を着るように
指定されたことにCさんが「一番驚いた」といい、Bさんも「私もそれが一番衝撃的(笑)。
引くよね普通に」と答えたことについても、Dさんはつれない反応だ。
「アパレル会社が業務の一環でやってる研修なんだから、当たり前だと思いますけどね。
そんなことも理解できないから余計ストレスが溜まるんでしょう」
座談会の読み方はいろいろあるだろうが、X社の労務管理に改善の余地があるということは
言えるだろう。
-以上です-
| — | 【ワタミ労災認定】元店員が語るブラックな労働環境 | 日刊SPA! (via wideangle) |
「最初に就職した会社がつぶれなければ、こんなことにはならなかった」。昨年夏、機構から奨学金の一括返済を求める訴訟を起こされた北九州市小倉北区の男性(28)は悔しがった。
約220万円の奨学金を受け、2006年3月に福岡県内の私立大を卒業。呉服販売会社に就職し、同年4月から毎月1万3千円ずつ返し始めた。ところが、わずか5カ月後の8月末、会社が破産手続きに入り、いきなり解雇された。10月に飲食店に再就職したが、手取り月給は約14万円に減り、家賃や車のローン、生活費に消えた。やむなく機構に返済猶予を申し出た。
07年9月に結婚して返済を再開。1年弱は支払ったが、子育て費用などで再び行き詰まり、08年夏ごろ、2度目の猶予を申請。10年6月には飲食店を辞め、日雇い派遣などでしのいだ。同年12月に3度目の就職が決まったが、昨年春には、機構から未返済の190万円の一括納付を求める郵便が届くようになった。
「まだ大丈夫だろう」と思っていた昨年夏、機構の担当者から電話で告げられた。「裁判になりました」。男性は、その後、23年1月まで月1万5千円ずつ、延滞金を含め計約200万円を支払うことで機構側と合意した。
本日(12.02.13)グリーンアクティブ記者会見(議員会館)でのアピール文 http://blogos.com/article/31782/ #blogos
■書かないのだ。誰も書かないのだ。一人もだよ。書くっていったのに。そんなのあるか。勿論、催促をする。いったい、いつになったら書くのか。すると皆、ハンでついたように同じ事を言うのだ。
「・・・書けない」(ため息をハァ、とつく)。
■だって打ち合わせをしたじゃないか。自信満々に内容を語ったじゃないか。ある一人などこうもいったはずだ。「もう、すべて頭の中にある。あとは書くだけさ」 でも、書かないのだ。一行も書かないのだ。なんだかんだと言い訳ばかりして結局一人も書かなかった。
■それで仲の良かったNに頼んだのだ。Nなら何とかしてくれると思ったのだ。Nは「小説などあまり読まないし、文章なども書いたことはないがまあ何とかしよう」と言い、2週間で50枚ほども書いてくれた。同人誌は、結果的にNの個人誌になったわけである。
■本が出来上がると執筆予定だった4人が現れて、Nの書いた文章をボロクソに批判した。曰く、Nの書いたものはある著名な小説家の文章に良く似ている。スタイルだけ借りた、志の無い駄作だと言うのである。
■僕は、こいつらはなんだろう、と思った。なんなんだよお前らは。
■4人の指摘は確かに当たってはいたのである。Nには書きたいモノなどなかったのだ。それはそうだ。だって僕に頼まれて仕方なく書いたのだから。だからある作家のスタイル-文体など-を借りて、内容はともかく、体裁だけはそれらしいものをと、形だけ、とにかく書いたわけである。それはまあ、僕にも分かった。
■しかしだからと言ってお前らはなんだ。
■きっとこういうことである。奴らは傑作を書こうとしたのである。 このオレ様が書くのであれば、その作品は大傑作以外にあり得ない、と鼻息も荒くだが平静を装うためコーヒーなどすすり書き始めたはずなのである。 一行書き、一枚書いてみる。 読み返す。陳腐である。おかしい。書き直す。読み返す。凡庸である。頭の中にあったときは世紀の大傑作だったものが、実際に書いてみるとコレは・・・という代物にしかならぬ。がっかりだ。こんなもの人目に晒すとバカにされてしまうかもしれない。何より自分が許せない。傷つくぞ、プライドが。悪夢である。
■で、その悪夢から逃れる素晴らしい方法があるのだ。書かなければいい。そして人の書いたぼろぼろの作品をバカにして心の平穏を取り戻すのだ。 バカ者だと思った。このばかめ。
■10年振りにNから連絡があった。小説家になれそうだというのである。ほんとかよ。夏くらいに文芸誌に短編がのるはずだ。なんと感動的な話だろう。
■最初Nには書きたいものは無かったし、書く技術もなかった。ソフトも、ハードも無かったということだ。だが必要に迫られて、ハードだけをどこかから借り受けて、ソフトの無い作品をでっちあげた。そして何作か書く内に、書きたいものが出来た。ソフトが出来たわけだ。だが、ハードはまだ借り物だ。まあでも兎に角書いてゆく。そして10年が経ち、いつの間にかハードも立派に自分製になっていた。自分の技術で、自分の言葉を書く、プロの物書きだ。おめでとう、N。
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架空畳ブログ・ジュラ記 (via perm-orange) 2011-05-03 (via quote-over100notes-jp) |


